当たり前の事を幸せに感じられる瞬間

人って当たり前のことに日々幸せを感じる事ってなかなか出来ない。

以前主人に言われた事があります。

「ゆず子は幸福度95%で不幸度5%くらいなのに、その5%で深く悩み過ぎている」と。

私が道路族に悩んで泣いていた頃に言われた言葉です。入居2~3年目の頃かな。

入居当初にそんな事を言われても多分心には響いて来なかったと思う。

当時は道路遊びと井戸端会議が本当に辛くて苦しくてたまらなくて、前向きに考えるなんて事はとてもじゃないけど出来なかったから。

でも3年経った今では主人の言葉も素直に受け入れられる自分がいます。

病気でなければ健康である事のありがたみを感じる事はない。

仕事のグチばかりで仕事がある事の幸せを感じる事がない。

家族がいつも当たり前に一緒にいればその幸せを感じる事もない。

家の周りで道路遊びや井戸端会議がなく静かであれば、静かである事の幸せを感じる事もない。

当たり前のことを「当たり前」と思っているとなかなかそのありがたみを感じる事が出来ない。

ついつい日々のストレスや不満にばかり目が行き、幸せを考える事が疎かになってしまう。

人間の脳ってなんで幸せな事ばかりを記憶しておけないのかなぁと歯がゆくなるくらいに。

今当たり前に思っていることっていつ崩壊してしまうか分からない。でも今の状態がいつまでも続くんだとなんとなく思ってしまう。

私の職場の女性(部署は違います)は、30代後半の時に病気で亡くなりました。

私と同じ部署の男性は35歳で癌になり、現在も闘病中で休職しています。

主人の幼馴染みの女性は2人の子供を産んだ後、乳がんで31歳で亡くなりました。

30代だとまだまだ健康で幸せでいられるとなんとなく思ってしまいますが、いつ何が起こるのか分からないのが人生。

だから毎日楽しく過ごさないと結局は自分が損するんですよね。

でも恵まれているが故に嫌な事につい頭が支配されてしまいがち。

職場の人間関係に恵まれている事も当たり前の幸せ

私のいる部署に異動してくる人がたまにいますが、みんな口を揃えて「ここって本当に良い人ばかり」だと言います。

私の働いている部署に2年程在籍していたT先輩(今は別の部署へ異動になった)は

「ここって良い人が多くて私が前にいた部署と全然違う」

と言ってましたし、1年前に他県から異動してきた後輩のKさんも

「私がいた部署って本当に殺伐としてて・・・。『悪いのはお前だ』みたいに、何かあれば全部人のせいみたいな人が多くて。ここに来てからみんな良い人で本当に感動しました。前の部署の殺伐とした雰囲気はなんだったんだろうって思うくらい」

と言っていました。

私はこれが当たり前だと思ってずっと過ごしてきたので、そのありがたみを感じる事は今までありませんでした。

ありがたみを感じるどころか、ちょっと嫌な人や我がままな人がいるとイラッとしたり嫌な気持ちになったり、その事ばかりが気になっていました。

もっと良い人はたくさんいるのにそのありがたみを感じる事もなく、つい嫌な人にばかり目がいってしまっていました。

でも異動してくる人たちに口を揃えて「良い人たちばかり」と言われると、

「確かに思いやりのある人や協調性のある人が多い職場だな」

と改めて考えるようになりました。

そう思うと、自分って恵まれた職場環境で働けているんだろうなぁとありがたみを感じられるようになりました。

道路族に悩んで唯一前向きに考えられた事

私はこの家に住み始めて3年間は道路族に対するストレスで一杯でした。

コンクリートを削られて嘘を付かれ、物を壊されて知らんぷりされ、逆ギレして睨まれ・・・。

一時期は精神的に病んで産後の身体はボロボロ。毎日ひどい動悸と息苦しさに襲われ、薬を飲まないと耐えられませんでした。

でも道路族にこれだけ悩んで苦しんで唯一良かったと思えた事は、当たり前の事を「幸せ」だと思う事が増えた事。

「雨の日に静かに家で過ごせるのが幸せ」

「冬は仕事が終わって真っすぐに家に帰れるのが幸せ(道路遊びがないから)」

「家族と一緒に過ごせる時間が幸せ」

もし道路族に悩まされていなければ「当たり前の幸せ」を実感する事もあまりなかったかもしれません。

苦しみと幸せは表裏一体。

この新興住宅地に入居してから感じた事。

辛い事や苦しい事があって初めて目の前にある当たり前の幸せをしみじみと実感できるんだなぁと思いました。


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